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2013年6月23日 (日)

スメタナ 「我が祖国」全曲演奏会 (O.レナルト指揮 プラハ放送交響楽団)

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D50 Ai AF Nikkor 35mm f/2D

1968年の夏に鉄の力で「プラハの春」は蹂躙され、短い春は暗く閉ざされてしまったものの、「プラハの春」音楽祭はその後も開催され続けられていたという皮肉。いや、これはボヘミアの人たちは春の訪れをじっと待ち続けるという意思表示だったのでしょう。音楽祭の初日、何の意味もなく、スメタナの「我が祖国」が毎年演奏されていた訳はないでしょうから。

軍靴で押し踏みにじられた「プラハの春」から32年後、1989年のビロード革命を経た翌年の「プラハの春」音楽祭。初日恒例のスメタナの「我が祖国」の指揮台に、永らくチェコを離れていたR.クーベリックが立ち、15世紀のフス教徒達が歌った「汝ら、神とその法の勇士達」のメロディが黄金のスメタナホールの隅々までに染み渡る様は、遠く離れた日本で小さなブラウン管とスピーカー越しに見聴きしていた僕にも、ある種の感慨をもたらしてくれました。音楽は秩序を与えられ空気の振動にとどまらない意味を持つこと、それは音楽として存在するものにとって、力なのか、幸福なのか、あるいは不幸なのか。

オーケストラの演奏会でもヴィシフラト、モルダウ、ボヘミアの森と草原よりといった曲は単独で演奏される事はあっても、全曲となるとその機会はぐっと少なく、「我が祖国」の全曲演奏に接する事は半ば諦めていました。それが、まさか地元のホールで聴かれるとは! 演奏会の告知の直後にプレイガイドに走り、2階席、やや右寄りの中央、最前列を確保。オーケストラを俯瞰し、オーケストラとホールの響きを味わうための最善の席の一つのはずです。

少し大きめの14型といった編成、ホルンにアシスタントが1人いただけで、トランペットは2本のまま。
トランペットの柔らかく、明るく透明感のある音色は素敵でした。重ねなしの2本で終曲のブラニークまで、多いに活躍。
トロンボーンも弱音から強音までハーモニーは崩れず、素晴らしい音を堪能させていただきました。
ソロでもビブラートがかからないホルン。約25年前に聴いたチェコフィルのホルンは遠い世界です。
昔のチェコのオーケストラは独特の音色でしたが、このプラハ放送交響楽団は至って「普通」の優秀なオーケストラでした。オーケストラの地域性が薄れていく傾向はチェコにも及んでいるのか、それとも元々こうしたオーケストラだったのか。

ことさらに聴衆の高揚を煽るような安易な演奏に走らないのは、レナルト氏とオーケストラメンバーの矜持がそうさせるのでしょうか。自分たちが確信した音楽を実直に、丁寧に音にしていく姿に接し、深い所から、静かに心を揺り動かされました。

こうした貴重な機会を我々に提供してくださった西京教育文化振興財団の皆様に、改めて感謝申し上げたいと思います。来年の西京コンサート、楽しみにしています。

(2013年6月22日 周南市文化会館)


2013年6月21日 (金)

グレート・ギャッツビー(F.S.フィッツジェラルド 訳:野崎 孝)

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D50 Ai AF Nikkor 35mm f/2D

「舟を編む」が始まる前にスクリーンに映し出された、「華麗なるギャッツビー」の予告。ディカプリオ主演の「華麗なる」ものでした。
ギャッツビーの心の中の深く、暗い大きな穴との対比として、絢爛豪華なパーティーの場面がどのように映像化されているのか、大変気になるところです。
久しぶりに再読した、新潮文庫。1920年代のアメリカ東海岸で交わされた会話のニュアンスを日本語に移し替える翻訳は、困難なものだったのでしょう。本書に限らないとは思いますが、原書で読むことは言葉の機微に触れる上でも非常に意義深い事と思います。もっとも、僕の貧弱な英語力では、意味を追うだけでやっとのこと。
村上春樹氏の翻訳ではどのような言い回しになっているのか、興味深いところです。


2013年6月18日 (火)

アジサイの季節

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D50 Ai AF Nikkor 35mm f/2D

光市のあじさい苑にて。


2013年6月12日 (水)

欠落したものは、64分音符くらいの小さな音

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GRD2

いつも我が家から見える、周南コンビナートの煙突から立ち上る水蒸気。水蒸気が東になびいていたら、雨の心配はないでしょうし、西になびいていたら晴れていても、天気は下り坂のサイン。
ふといつものように窓の外を見たら、何か、変。いつも立ち上っている水蒸気が見えません。定期修理中なのでしょうか?
毎日目にする些細なものでもそこにないと、ちょっとした違和感を覚えるものなのですね。
普段は意識しない生活のリズムの拍動が、ほんの少しだけ違った朝でした。


2013年6月10日 (月)

手伝いのはずが

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iPhone4S

6月9日、天気予報は雨。8時30分頃に自宅を出発し、9時頃に到着しました。
小雨のなか、田植えは始まっていました。遅刻。
下の田はお義父さんが全部植え、僕が植えたのは上の田の3分の2ほどでしょうか。
レバー操作をおさらいし、一年前の感覚を取り戻すべく田植機を押して歩きましたが、ラインどりが、相変わらず下手。今年も、慣れた頃に終了。
想定していたよりも、若干多めに苗が残ったようで、自分の下手さ加減を思い知ります。「収量が変わらなければいいから」とお義父さんにフォローしていただきましたが、これでは邪魔をするために帰ったような。来年は、頑張ります。

夜は焼肉。心地良い疲れのなか、美味しい野菜と肉に舌鼓を打ち、ビールを喉に流し込み至福のひと時。
この日はドーフィネの最終日でしたが、寝落ち。目が覚めたら、フルームが表彰台で祝福を受けていました。


2013年6月 7日 (金)

お休み

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梅雨入りは例年より1週間以上早かったようですが、ここのところは雨は降らず。日差しも日一日と強くなり、夏日が続いています。おとといは、2号線の温度計は28度でした。
これからの季節、昼間失った水分を補給するのに最適なのは、ビール。と、いきたいところですが、たまには肝臓にも休んでいただかないと。
大学時代の吹奏楽団の先輩が、ホッピーが意外といけると最近おっしゃっていたのを思い出し、スーパーで調達。確かに、いけてます。


2013年6月 6日 (木)

音楽ノート(ブラームス 交響曲第1番 ドホナーニ指揮 クリーブランド管弦楽団)

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CDの棚を整理していたら、たまたま見つけた1枚。久しぶりのご対面でした。

管弦楽団と指揮者によって紡がれる交響曲の演奏という物語には、その筆遣いに奏者の共感や考えが感じられるもの。その筆致を含めて、そこに語られるモノに耳を澄ませる訳ですが、ドホナーニ、クリーブランド管弦楽団のブラームス 交響曲第1番は、何とも不思議、異質な感覚。のっぺりと、ここまで自分たちの筆跡を無個性にした演奏ってあったでしょうか。
セルとクリーブランド管弦楽団のブラームスでも、こうした違和感は感じなかったのですが。

そういえば、1番、2番を買ったものの、この後、このコンビの3番、4番のCDは買いませんでした。
もっとも、ドホナーニは好きな指揮者の一人である事に変わりはありません。



2013年6月 4日 (火)

備忘録

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5月になると、自転車ロードレースのステージレースが本格化。5月のジロ・デ・イタリアにはじまり、ドーフィネ、スイスときて、6月下旬には例年よりも早く、ツール・ド・フランスが開幕。寝不足気味で、日記も書かずに寝てしまう毎日ですが、読んだ本の備忘録を。

いつもは読まない分野を、新書で2冊。
「反ポピュリズム論」(渡辺恒雄)は、このタイミングで読んでおかないと、二度と読む事はないかもと思い手にとりました。
著者の主張の是非はともかく、実に読みやすい本でした。論の展開の仕方、言葉選び、センテンスの区切り、さすが大新聞の「主筆」でいらっしゃる(褒めています)。
ただ、疑問符を付けざるを得ない箇所も。ある新聞の連載記事が非論理的であると批判されていましたが、ある一部だけを切り取ってその問題を指摘するのはかえって説得力を失ってしまったのではないでしょうか。もっとも、ご本人は重々承知の上での記述だったとは思いますが。

「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎、大澤真幸)では、普段の僕の生活からは遠い世界の話しを、いつもながらの「橋爪節」で、実に明快に解き明かしてくれました。
近代化が欧米化と同義であった時代を振り返るためには、キリスト教が世界に与えたものは何だったのか。勉強になりました。
もっとも、本書はあくまでも手がかり、足がかり。これだけで「全て」を理解した気になっては、大変危険なことです。


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