時の流れのなかで 新カイエ・ド・クリティク
5月22日に亡くなった吉田秀和氏の追悼のため、7月5日に水戸でお別れ会を、同月9日に東京で追悼コンサートが開催されるとのことでした。
水戸、東京のどちらにも出席することはできませんが、ここ徳山の地で故人を偲びたいと思います。
ここのところ、吉田氏の著作を改めて読んでいます。家にある本、新たに買った本、図書館で借りた本。
その中の一冊が、「時の流れのなかで 新カイエ・ド・クリティク」。
ところどころで、自らの苛立ちを隠そうとはしない吉田氏。ここまで、直截に書かれたものは珍しいでしょうか。
作曲家は「何を」音楽で表現したのか、演奏者はそこに「何を」みたのか、そして我々聴衆は「何を」受け取ったのか。それを他者と共有するためには、言語を通過させざるを得ない困難が待ち受けています。その困難さを自覚して仕事を行っていた吉田氏にとって、それを回避した「評論家」を目の当たりにしたとき、吉田氏の鋭い筆先は刃となり、「評論家」の不誠実な態度に向けられます。
自分の刀の切れ味をよく知っていたからでしょうか、めったと鞘から刀を抜くことがなかった吉田氏。刃を向けられた方は、さぞ心胆が冷えたのでは? 太刀を上段に構える吉田氏の姿は、あまりお目にかかったことはありません。
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